ぶーの葬儀を済ませました。
ペットメモリアルというところにお願いしまして、きちんとセレモニーもやってもらいました。
骨あげもしまして、きちんと骨壺に納めてあげることができました。
火葬の結果、やはり腎臓が悪かったようでそこだけ焼け方が違っていました。メモリアルホールの係の人も指摘されていました。焼け方で分かるものなのですね。
それから、メモリアルペンダントという小さな携帯用の筒も入手して、そちらにも少し遺骨を納めました。
何かあるときは身につけて出かけたいと思います。

ぶーが亡くなった昨晩、全く眠れませんでした…
どれだけお酒を飲んでも酔えず、眠れませんでした…
寂しくて悲しくて眠れませんでした…
自分がどれだけ起きていても生き返るなんて事はないのに… 眠れませんでした…
ずっとそばにいてくれたぶーがいなくなると寂しいとは思っていたけど、これほどとは…

部屋にいてパソコンに向かって思い出を綴っていても気が狂いそうで、何度も家の外に出て近所を歩いていました。
近くの神社を回ったり、近くの橋の上から川を眺めたりして歩きました。
「車でどこかでかけようかな」とか、「遠くまで歩こうかな」とも思いましたが、アルコールも入っていましたし、翌日にはぶーの葬儀も予定していましたので、何度か外に出て近くを歩き回っただけになんとか踏みとどまりました。
そんなに景色のいい町並みではないので、散歩だけで気はなかなか晴れないですが、じっとしてられなくて歩きました。
本当に魂が抜けていたのでしょう。途中で転んで手のひらや足を擦りむいてしまいました。
たぶん、今夜も寝られないと思います。
ぶーのいない部屋で一人で寝るのは辛すぎます。
今夜もお酒をしこたま飲んでますが、全然酔えません。飲み過ぎて背中が痛いです。
明日、心療内科に行って精神安定剤とか睡眠導入剤を処方してもらおうとも考えています。
薬に頼るのはよくないのですが、もう心が張り裂けそうに辛く寂しいのです。
アルコールに頼るのもよくないと思いますし。

もっと病状に早く気がついていてあげていれば、という後悔も当然あります。
しかし、こればかりは発見は難しかったかもしれません。
前日までは普通に元気にしていて突然の様態変化でしたし。

お葬式の帰りにその足で、掛かり付けの動物病院へお世話になったお礼に差し入れを持ってお伺いしました。
私はお礼とともに先生へ「もう少し早く看てもらっていたらよかったでしょうか」とお聞きしました。
先生は『年齢的なものが大きいでしょう。天寿と考えていただいた方がいいですね』とのお言葉でした。
その言葉に少し救われた気もいたします。
歳も歳でしたので手術というわけにもいかなかったと思いますし、人間のように移植手術があるわけでもないでしょうし。

幸いなのはぶーの遺体が安らかで苦しんだ表情じゃなかったことだけです。安らかに眠っていました。(亡がらは写真撮影していません。さすがにできませんでした。)
ぶーは最後の三日間、体のしんどさやダルさや辛さに頑張って耐えてましたから、それだけに、そこから解放されただけでもよかったと思わなければならない気がしています。

ただ、神様がいるのなら訊ねたいです。
ぶーは彼の一生を全うできたのでしょうか。
ぶーは私に対して、これ以上ないぐらい甘えることができたのでしょうか。
この三日間の頑張りとぶーの死そのものは、ぶーがぶーらしく猫らしく楽しく生きたことと十分釣り合いが取れるものでしょうか。

そして、ぶーに恥じないように私も人生を全うできるのでしょうか。
これは私次第でもありますが。

ウチでは子どもの頃から動物をいろいろ飼ってきたので、私もペットロスはたくさん経験してきました。
20代半ばの頃には実家で飼っていたワンコが亡くなり、20代後半にも飼っていたニャンコを失ったことがありました。
20代の時に飼っていたニャンコの件は書き出すと長くなりますが、簡潔にお話しすると保護したノラちゃんがさらに迷子になってしまい探しきれなかったのです。
その時も相当落ち込んだので、ペットを飼うのは諦めていたのですが、前回書いたようにぶーとの偶然の出会いがあり一緒に暮らしてきました。

それだけに、今回は寂しい悲しいという感情や喪失感がとても強いです。
若い頃も寂しかったり悲しかったりしていたのだろうと思いますが、やるべき事がたくさんあって悲しむ暇もない状況だったのかもしれません。もしくは、「もうペットは飼わない」と自分に言い聞かせることで楽になろうとしていたのかもしれません。
当然、今も人生や仕事のことなど、いろんなことで思い悩んだり考えることが多く、なかなか寝付けなかったりします。
“歳を取るにつれてもっと多くの挑戦が必要になる。減ることはない”という言葉もありますが、今、正に実感しています。

でも、どんな時もぶーはそばにいてくれましたし、一緒に寝たり、私が起きるのを枕元で待ってくれていたりしました。
そこが、今までのペットロスと大きく違うところなのでしょうね。
また、一緒に暮らした期間も12年半と長かったというのもありますね。

ペットロスを少しでも軽減する方法として今回感じた点を挙げてみたいと思います。
【大前提】普段から精一杯可愛がって気遣ってあげましょう。
【0】信頼できる掛かり付けのお医者さんに看てもらいましょう。
【1】亡くなったら、しっかりと遺体をきれいにしてあげましょう。
【2】信頼できるペット葬儀社さんにお願いしてお葬式をあげてもらいましょう。
   私は大阪在住ですので、ペットメモリアルというところにお願いしました。
   しっかりと丁寧に対応してくださいました。
   ※この際、どこまでされるかはご家庭によって異なると思いますが、セレモニーと骨あげは行ってあげた方がいいと思います。
 私は家で供養したかったのでお骨を持って帰りましたが、納骨堂で預かって慰霊して頂く方法等もありますのでご家庭の事情などによって合った方法を選ばれるとよいと思います。
 くれぐれも、セレモニーと骨あげは行ってあげた方がいいと私は思いました。
【4】お世話になった動物病院の先生にご挨拶に行きましょう。
【そして】ここから先は個人差があると思います。
   私のように眠れず過ごす方もおられることでしょう。眠れぬ日々を過ごしている私が言うのも変ですが、お体だけには気をつけてください。
 少なくともセレモニーと骨あげ、そして先生へのご挨拶で少し気持ちは整理に近づいた気もいたします。

今回、ぶーの死を通じて、「ぶーは一生を全うできたのか」というところから、「私は自分の人生があるべきところにあるのか」、「自分はやるべきことをできているのか」、「“本当はどうあるべきか”という考え方や行い方ができているのか」ということを改めて考えさせられました。

私もなんとかペットロスを乗り越えて今回の出来事を糧に強くなりたいと願っています。
いろいろと気づかせてくれてありがとう、ぶー。

PB295191